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このブログは,末日聖徒イエス・キリスト教会国際機関誌『リアホナ』に掲載された記事を共通の話題として,読者の皆さんと編集者・ライターが,また読者の皆さん同士が交流する広場です。毎月の『リアホナ』に掲載されるかなりの記事を題材にブログを展開してまいりますので,皆さんのご意見,ご感想,ちょっとしたコメントなどを,お気軽にコメント欄に書き込んでくださいますよう。皆様のご参加を心よりお待ちいたしております!


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ちなみに,システム上,投稿から表示まで若干のお時間がかかる場合もございます。ご容赦ください。

2010年7月30日 (金)

私が属する場所

P1130068_5浜松のブラジル人学校「エスコーラ・ブラジル」を取材した日は、驚くほど暑い日でした。
校長の成瀬兄弟も大汗をかきながら取材に協力してくださいました。「リアホナ」8月号に掲載されています。

まさに猛暑真っ盛り。
学校の中へ入って涼もうと思いましたが、クーラーはありません。
そういえば、普通は学校にはクーラーはありませんよね・・・。
私立高校ならともかくとして、公立の小中学校には普通はクーラーはありません。

「こんな暑い環境の中で子供たちは勉強しているんだ・・・」
冷房の効いた仕事場に慣れた大人にはカルチャーショックでした。

冷房設備の他に、もう一つ「おやっ?」っと思ったことがあります。
それは壁に掲げられたブラジル国旗と日本国旗。
日本の小学校では、入学式や卒業式では掲げられますが、普段、校舎の壁に掲げられているということはありませんね。

祖国ブラジルから遠く離れているからこそ、子供たちに愛国心を学ばせるのは大切なことなのでしょう。

特に日本で生活している日系ブラジル人の人々は、日本人なのか、ブラジル人なのか、差別を受けることも多々あります。
日本国籍を取得したとしても、ブラジルは国籍の放棄を許可していませんので、ブラジル国籍はそのままです。
日本は二重国籍を認めていないので、ブラジルの国籍から離脱する旨の書類を提出させます。

二国の間で曖昧な処理のまま存在する人たちもいます。

「私はどこに属するのだろう?」と子供たちは思うかもしれません。

「あなたはどこに属するの?」と尋ねられたとき、普通は国名を言うことでしょう。
ところが、本当に属する場所は国名だけでは十分ではないかもしれません。

P1130229_2ジョエル・コトキンという作家が著した書物に「TRIBES」というものがあります。
「TRIBES」とは「部族」を意味します。

著者は、人種、宗教、個性がどのようにグローバルな経済活動の中で影響してくるかについて説いています。世界では国や人種によって分けられた「部族」だけの時代は終わり、宗教によって分けられた「部族」もあれば、趣味や嗜好に基づく「部族」も登場してきています。大きな企業に属する人にとっては、それもひとつの「部族」かもしれません。

そして、興味深いのは、その書物の中で世界の経済活動に影響を与える一つの「部族」として「モルモン」が紹介されていることです。

教会員であることに、人種は問われません。
それぞれの会員は、どこかの国に属し、その国の「部族」であり、人種による「部族」に属しています。
それと同時に、末日聖徒という「部族」にも属し、趣味や嗜好を共通とする「部族」にも属しています。

学校に掲げられたブラジル国旗と日本国旗を見たとき、「私たちは、それぞれが愛国心を持ちながら、末日聖徒という属する場所を持つ人々なのだ」と思いました。

2010年7月28日 (水)

私の聖なる森はどこ?

「今すぐ、伝道に出ろ!」とは、なかなか力強い言葉です。
ささやくような細い声とは違いますね・・・。

「リアホナ」8月号のローカルページに掲載された渡壁正明兄弟の記事です。
渡壁兄弟が伝道へ出るべきか祈ったときに、このような強い言葉で祈りの答えが返ってきたというのです。
「行った方がよい」という程度の答えだったら、「多分自分は行かなかったので」と渡壁兄弟は話してくれました。

渡壁兄弟が祈った場所は、家から車で30分程の霜降山の山頂です。
標高200メートルぐらいの小さな山ですが、取材当日にはもやがかかり、随分と高いところへ来たように錯覚するほどでした。
見晴らしがよく、誰もいない山頂。
一人で祈るのが少し恐いほどの静寂に包まれていました。

私たちは「自分の聖なる森」を持つようにと言われることがあります。
まさしく、その場所は、伝道について心から尋ねる渡壁兄弟にとって、聖なる森になっていました。

場所はどこであれ、自然の中で一人で主へ祈りを捧げるのは素晴らしい経験ですね。
読者の中にも、そのような経験をされた方は多いと思います。

ときには、自分の聖なる森が、自分の部屋であったり、教会堂であったり、様々です。
場所は問いませんが、「自分の聖なる森」を見つけるのはとても大切なことです。

そういえば、私の聖なる森はどこなのだろう・・・?

空気が澄みきった霜降り山の頂で遠くを見つめながら、ふと思ってしまいました。

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2010年7月26日 (月)

忠実な友。

Cimg4440_2 先日,高い熱を出して10日ほど寝込みました。
ちょうどその時にトイレットペーパーと石鹸が少なくなり
『買いに行かなければならないなぁ・・・』
と思いましたが動けませんでした。体はシャンプーでも何ででも洗えるので石鹸はなくても平気でしたが,トイレットペーパーはちょっと・・・(笑)
『困ったなぁ~』
と思っていましたら,何の前触れもなく友だちがトイレットペーパーとティッシュを持ってきてくれました。
その数日後に同じ友だちから電話がかかりました。

「具合はどう?」

「うん,ありがとう。ぼちぼちだよ。」

そう答えたわたしに友だちは

「ねぇ,石鹸が必要なんじゃない?」

もちろん必要です!
その日のうちに友だちは小さな子どもを3人連れて石鹸とトイレットペーパーを持ってきてくれました。

主の望みはわたしたちにとって最善のことだけです。
わたしたちの幸福が主の幸福です。
そして主はわたしたちが幸せを感じることができるように模範を示してくださいました。
さらにわたしたちは聖霊の力によって誰に何をなすべきかを知ることができます。
それによってわたしたちは人に仕えることができ,主の忠実な友になれます。

友だちの援助の手にわたしは彼女のわたしへの愛と主の愛を感じました。
そしてわたしも彼女のように誰かの友になりたいと思いました。
石鹸は小さな物ですがそれが携えてきたものは抱えきれないほど大きなものです。

2010年7月21日 (水)

ユタ州プロボMTCレポート映像


YouTube: MTC Video_JPN.wmv

『リアホナ』2010年8月号ローカルページ 4ページ掲載記事に関連した映像です。米国ユタ州プロボ宣教師訓練センターで学ぶ日本人宣教師たちの様子と宣教師の声を収録しています。山下一生長老の証も収録しています。この映像は,2010年6月20日に全国で開催された衛星放送によるステーク大会にて放映されました。

2010年7月16日 (金)

「リアホナ」を見つけて!

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 読者の方からこんなメールを頂きました。

「以前のリアホナのCTRリング探しを夫婦で楽しんでました。しかし、新しいリアホナになってのリアホナ探しはさっぱりわかりません。しかし、7月号は何とか見つかりました。すみませんが、1月号からの答えを教えてください。」

……7月号の「リアホナ」探しは結構難しかったです。よく見つけられましたね!

それでは,リクエストにお応えして,「リアホナ」が隠されているページを1月号から記します。じっくり眺めてご覧になってください。

1月号……67ページ
2月号……66ページ
3月号……62ページ
4月号……68ページ
(5月号は総大会特集号なのでありません)
6月号……54ページ
7月号……はあえて記しません。楽しんでみてください。ヒントは……「こども」のページにありますが,文字通り『隠れて』います。ちょっとこれはないよ,と思いますねえ。かなり慎重に探さないと見つかりません。

この「リアホナ」がどこにあるか,日本語版作成の際に校正者は一応チェックしています。
これまで隠されていなかったということはありません。が,
月によってはかなり難しい場合もあります。心理的な盲点を突いてくるというか……

この隠し「リアホナ」は,昨年以前,CTRリングが隠されていたころから,基本的に「こども」のページ(右ページ端に青い柱があります)にあるという暗黙のルールがあったのですが,実は2010年6月号だけは掟破りで,「青少年」のページにありました。
確かに「こども」のページにあるとはだれも断っていないのですが……

日本のスタッフとしては,これは本来,こどもの楽しみのためのお遊び企画だと思っていました。
ところが最近の隠し方の巧妙さを見ていると,これはプライマリーの子供では見つけられないのでは……と思うこともしばしばです。
今年から青少年対象にシフトしたのでしょうか??

これを制作しているのはソルトレークのリアホナ本誌デザインスタッフです。彼らの遊び心をこれからもお楽しみください。

2010年7月 7日 (水)

人生は何が起こるか分からない。

Img_6335_4 わたしたちの人生はいつも思いがけないことでいっぱいです。
『ラッキー!』と喜ぶこともあれば,『どうしてこんな・・・』とこの世の終わりのように感じることもあります。また,望みが早く叶うこともあれば,長い間願い続け,祈り続けるけれどなかなか叶わないということもあります。

一生懸命頑張っても報われない・・・そんな経験をしたことはありませんか?
そんな時あなたはどうしますか?
ヒンクレー大管長の勧めどおりに常に楽観的にいられるでしょうか?

先日お会いした福岡ワードの堀口章子姉妹はそれを地でいくような姉妹です。
わたしたちに与えられる試しはそれぞれ違います。
堀口姉 妹には『結婚』でした。
40
年待つ必要がありました。
待つ間にもたくさんの困難や苦しみがありました。
『どうして』と涙し,『もうだめだ』とあきらめたくなる時も一度や二度ではなかったそうです。でもその全てをバネにして,主から与えられた祝福だけを数えて生きてこられた方です。

今回わたしは,『結婚の望みがなかなか叶わない方々にとって大きな励ましになる』と思って堀口姉妹に会いに行きました。けれどそれだけではありませんでした。わたし自身が大きな励ましと慰めを受けました。そして希望を持つことができました。
彼女の経験は,今さまざまな苦しみや迷いの 真っ只中にいる全ての人へのエールです。


「神様は最後の最後にこんな大きな祝福をくださいました。」
「今ほんとうに幸せなんです~。」
と笑顔で言う堀口姉妹は可愛らしい少女のようでした。
「わたしにも奇跡が起こったんです。」
堀口姉妹のこの言葉に奇跡は特別な人だけのものじゃないんだなと思いました。
そしてこの笑顔と喜びはわたしたちみなが主からいただけるものだと感じました。

(2010年7月号 希望を見いだす)

2010年7月 2日 (金)

囲炉裏端会議 3rd

7月の声を聞きましたが,関東地方は蒸し暑い日が続いています。今から熱帯夜続きでは先が思いやられますね。

さて,しばらくぶりの囲炉裏端会議,始めます。
ここしばらく囲炉裏端エントリ入れようと思ったら,他のライターの皆さんが精力的にエントリをポストしてくださっていて,上手いタイミングが図れませんでした。

7月号は介護特集でしたが,いかがでしたでか?
一つ前のエントリでご紹介しているとおり,6ページからの飯坂和子姉妹の記事は,DVDの動画と併せてお読みくださると一粒で二度おいしいです。
やはり映像の訴求力というのは素晴らしいものがありますね。
今後も,このブログをリアホナ本誌の別館として,動画やカラー(でお見せできなくて残念!だった)画像を掲載していきますので,本誌ともどもお楽しみください。
来月の8月号も動画連動企画やります! またこのブログを介してご覧になってください。

雑誌というのは基本,写真勝負のところが多いです。優れた写真が載っている雑誌はつい手が出ますね。参考資料にと自分を納得させて買ってしまいます。しかしローカルページは基本,モノクロなので,そのまま写真でもたせる誌面の方法論が使えるわけではありません。けれどもカラー写真とモノクロ写真はそもそも土俵が違うのであって,どちらが上ということはないと思いますね。モノクロにはモノクロ独自の見せ方や美しさがありますから。

でもローカルページの場合,最初からモノクロフィルムで撮るわけではなく,カラーのデジタル一眼レフで撮ったものを,画像処理でモノクロ化しているわけです。しかし機械的にカラーをグレースケールに置き換えているのではなく,赤系と青系が同明度になったとき同じに見えてしまわないようにとか,肌色をモノクロ写真としてより自然にとか,いろいろ微調整はしています。最初からモノクロで美しい写真が撮れれば苦労はないのですが。

そうして微調整した写真も,レイアウト時のパソコンの液晶画面では良さそうに見えても,印刷工程でどう変わるか,仕上がりでどう見えるか,はまた微妙なところです。そこは試行錯誤を繰り返しながら,ノウハウを蓄積しています。液晶画面上ではかなりハイコントラストで白飛びしているような写真の方が印刷結果は良いようです。

マニアックな話で恐縮ですが,ローカルページを印刷しているインクは通常の黒インクではなく,マットインクという,仕上がりがつや消しになる特殊なインクを使用しています。このインクで刷るときは特に,ハイコントラスト気味の写真原稿の方が美しく仕上がります。7月号ローカルでは,3ページの西原長老,5ページの徳沢姉妹,6ページの飯坂姉妹,10ページのリユニオン集合写真あたりが割と上手くいきました。他の写真はもう一つ思い切りが足りなかったものもあります。実際,結果的にうまく行った写真もパソコンの画面上で見ると,ここまでやっていいものか……と悩むくらいハイコントラストです。

入稿直前は切羽詰まっているので,なかなか1点1点の写真調整をゆっくりしていられないところもありますが,モノクロとして美しい仕上がりの写真を掲載する!というのがここしばらくの個人的なテーマです。

まあパソコンの画面上で見たとおりの印刷仕上がりに,自動的になるのであれば苦労はないのですが,デジタルで作った版も,インクと紙というアナログな世界を通って本になりますので,なかなかすっきり割り切れません。印刷職人さんたちも現場で格闘してくださっています。季節によって湿気を吸って紙があばれたり,こちらの注文に合わせてインクの盛りを調整したり……デジタル全盛の時代でも,やはり職人的カンはものづくりに欠かすことができません。


*これが徳沢姉妹の写真の元データです。よろしければ印刷物と見比べてご覧になってください。

Photo

*これは西原長老の写真元データです。印刷の仕上がりとしてはもう少し思い切ってハイコントラストにしても良かったと思っています。パソコンで見ている分にはいいのですが。

Photo_8

※写真はクリックで拡大します


7月5日追記

天野 昭さまのコメント
PC上の出来上がりと印刷後の写真の印象は、読者にとっては大差は無いのか、或いは関心の薄い方にとっては、視覚の残像効果は余り長くは無いのかも知れません。

コメントありがとうございます。
う〜ん,確かに読者の方には「大差はない」のかもしれませんね……

またまた楽屋オチで恐縮ですが,この2010年から『リアホナ』は,アドビ・インデザインという組版ソフトウェアで組んでいます。(それ以前はクォーク・エキスプレスというソフトで組んでいました。)読者の方にとってはどんなソフトで組もうとまったくどうでもいいことなのですが,この新しいソフトに移行するため,組版担当者は数か月かけて,見た目に美しい文字組になるよう,試行錯誤しながら一からパラメータ設定を行いました。
職人としては,こういうことはあまり声高に言わないのが美学というものかもしれません。苦労してるんだよ,なんて言われたら読者の皆さんも興ざめでしょう。
ただ,ちょっと設定を変えてはプリントしてみて,スタッフ間で文字組みが美しいの美しくないのと侃々諤々の議論をするのは,職人としてはちょっと楽しいことなんです。楽しいので,つい言ってしまう。読者の皆さんに通じるか通じないかは別にして……

こういうのを称して,「組版オタク」と言います。

どんな職場で働いておられる方にも,ご自分の領域に一家言あることのひとつやふたつはお持ちでしょう。そういうのを第三者が取材して,プロジェクトX風のドキュメンタリーに仕立てるなら一般性も出ますけれど,まあ自分から語ることではないですね。そういうことで,前半のエントリにちょっと赤面しています。

「写真オタク」「取材オタク」「執筆オタク」……いろいろ居ますけれど,あまりオタクっぽい楽屋ネタをこのブログで垂れ流すと途端にアクセス数が落ちるのではないか(笑)と恐れています。これからは自戒して小出しにして行きますね。

(Liahona Desk)

2010年6月26日 (土)

神様のところへ帰る人の助けをする

20100626_82259_2「リアホナ」7月号には介護に関する特集が組まれています。その中の一人として登場するのが、大阪の堺ステーク泉北支部の飯坂和子姉妹。現在、ケアマネージャーとしても働いています。支部の扶助協会会長としても奉仕していますので、まさに多忙な日々を送っています。

皆さんは、ケアマネージャーという仕事をご存知でしょうか。
介護支援専門員という仕事です。簡単に言えば、介護を受ける人たちと、介護サービスを提供する人たちとのコーディネーターのような仕事です。

記事に登場する飯坂姉妹も、いろいろな方々を訪問し、介護のために何が必要か、どのようなサービスが必要かアレンジします。一見、簡単な調整役のように感じてしまったのですが、話しを伺うとそのご苦労を知ることができました。何よりも驚いたのは、介護を断る人(本来ならば介護が必要にも関わらず断る人)を何度も訪問し、説得することもあるということです。中には2年間も訪問を続けて介護を受ける調整をした人もいらっしゃったようです。

家族の中に介護を受ける人がいる人には分かりやすい話しなのかもしれませんが、介護の経験のない人たちにとっては、とても遠い世界の話しかもしれないと感じました。しかし、介護サービスを受ける生活は、突然やってきます。「予習」をする機会もありませんから、ほとんどの人が何から始めたら良いのかまったく分からない訳です。特に核家族の人たちには、複雑な状況が入り組んでくることもあります。どこで介護するのか、誰が介護するのか、家族は犠牲を払うことになるのだろうか・・・。

そんな疑問に飯坂姉妹はさらりと答えてくれました。
「クリスチャンだからって、あまり気負わない方がいいですね。家族を愛しているので逆にプレッシャーを感じたり、義務感を感じる人もいます。できないこととできることを分ければいいんです。」

飯坂姉妹は「介護が必要な高齢の人こそ、神様の教えが必要ですよね。これから神様の所へ帰っていくわけですから、もっと、準備をしなくてはいけません。家族も教会員も、そのお手伝いをしているということを忘れがちですね」と話す。

その言葉には、目から鱗が落ちるような思いでした。高齢になったり、体の自由がきかなくなったりすると、自然と社会から遠ざかってしまいます。周囲の人もそれが当たり前のように思ってしまいます。同じように、教会からも足が遠のきます。迷惑をかけてはいけないと配慮をする人もいます。

飯坂姉妹は言います。「最後の一番大切なときになって、何やってんねん!」
介護されている本人も家族も、どうしても遠慮してしまうんですよね・・・。

神様の元へ帰る準備をする最後のとき、言ってみれば、最終試験の直前になって、そのような遠慮はいるのだろうか・・・。取材をしながら、そう感じてしまいました。

確かに、大切な試験の直前になって「学ぶスピードが遅いので、まあ、このまま試験を受けます」と言ったら、「何やってんねん!」と言われるのは間違いないと思います。

映像はこちらで見ることができます。
http://www.facebook.com/video/video.php?v=402648138718

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2010年6月24日 (木)

変える力

 

Cimg0354  多くの女性には毎月感情を抑えるのが難しくなる時期があります。そのことについて一人の姉妹と話したことがあります。

「イラつくよねぇ。」

「どうしたらいいんだろうね。」

「家族に悪いなって思うんだけどね。」

などとお互いに言い合っていたのですが,その姉妹が

「わたし,祈ってみる。」

と思いついたように言いました。彼女は自分でどうしようもないので主に頼ってみるというのです。わたしは心の中で

『きっと役に立たない。』

と思いました。それは体の変化によって起こるものなのでどうしようもないことだと思っていたからです。
 数ヶ月してその姉妹から声をかけられました。彼女はわたしに言ったとおり主に祈り頼りました。そして彼女は変わったのです。笑顔で

「あれからもうイライラしなくなったよ。」

と言いました。

 

主はわたしたちを変える力を持っておられます。自分で自分を変えることができないとしても,主にはそれがおできになるのです。

 口で言うほど簡単ではないことかもしれません。でももし今何かを克服したいと思っているなら主に祈ってみましょう。『変える力』ではひとりの兄弟が麻薬の依存症から立ち直っています。わたしの友だちも体と心の変調からくる感情の波を克服しました。たくさんの時間と努力が必要なこともあるでしょう。時には失敗することもあるかもしれません。でも自分だけでは難しいことも主に頼り,主の助けを受けるならばきっと変わることができます。

 

2010年6月22日 (火)

幸せの黄色いTシャツ

Helpinghands
末日聖徒イエス・キリスト教会が進める人道援助活動の一つに「ヘルピングハンズ」があります。
フェースブックツイッターでも紹介されていますが、オハイオ州を襲ったトルネードの被災地で、ヘルピングハンズのロゴが入った黄色いTシャツを着用してボランティア活動に従事する宣教師の姿が紹介されています。

日本でも最近はたびたびヘルピングハンズの活動が行われています。
東京で開催されたYSAカンファレンスでも、独身成人の人たちが、代々木公園の清掃活動に携わっていました。大阪で国際陸上が開催される前の清掃や、各地で発生する地震や水害のときにもヘルピングハンズのボランティアによる支援が行われていました。

この活動では黄色いTシャツや黄色いベスト(ポンチョのようなもの)が使われますが、Tシャツが使われることはそれほど多くありません。ほとんどの場合は、黄色いベストが使用されます。

どうしてだと思われますか?

このヘルピングハンズのベストは、被災地でのID(身分証明)代わりになります。この黄色いベストを着用することで、行政の人たちも、被災者の方々も、ヘルピングハンズの活動に携わっている人たちだと認識することができるのです。特に被災地では、ボランティアを装った盗難被害なども報告されますので、行政からも身分証明としての着用が要請されことが多々あります。また、助けが必要な人たちは、黄色いベストを着用している人たちが助けを行うために来ていると認識できるため、気楽に声をかけることができます。

Tシャツの場合、誰かが持っていき、普段でも着用されるケースもありますが、黄色いベストの場合は、日常生活で着用されることはまずありません。そのような理由からもTシャツよりもベストが使われます。

「リアホナ」6月号ではカンボジアの教会について紹介されています。その中で、教会が行っているいくつかの人道援助活動についても紹介されています。教会は、一団体としても様々な組織、団体、行政を支援しますが、個々人の会員レベルでもヘルピングハンズのような活動を通じて、地域社会に助けの手を差し伸べています。まさに、「To The Rescue!」というテーマの元に、レスキュー活動を行っています。

そういえば、先日の総大会でアジア北地域会長会の青柳長老がお話しされたテーマも「Helping Hands」でしたね。「リアホナ」5月号に掲載されています。

このヘルピングハンズの活動ですが、ステークやワード単位でも行うことができます。黄色いベストは教会広報部(03-3440-5689)を通じて借りることもできます。

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2010年6月17日 (木)

父の日って、印象が薄いような・・・。

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6月20日(日)は、父の日です。
「今度の日曜日は父の日だぞ!」と意気込んでいるお父さんは、それほど多くはないと思います。

末日聖徒イエス・キリスト教会の安息日の集会でも、母の日にはプライマリーの子供たちが聖餐会で歌を歌ったり、バラの花がプレゼントされたり、そんな光景を毎年目にします。

しかし!
父の日にプライマリーの子供たちが聖餐会で歌ってくれたのを見たことがありません(涙)。
私だけかもしれませんが・・・。

教会には、父親と息子の関係を強く結びつける様々な活動がありますし、プログラムもあります。ホームティーチングの同僚になって一緒に奉仕する機会もあります。父親との接点が多いので、まあ、それはそれでいいかと勝手に納得していますが。

教会の公式サイトには、父の日に関連した映像がアップされています。フェイスブックでも見られますので、ぜひチェックしてみてください。もしかしたら・・・と思って母の日の映像を探してみたら、やはり公式サイトには、母親と娘の関係について綴った映像が紹介されていました。父の日だけではなかったようです。

「リアホナ」6月号に掲載されているディータ・F・ウークトドルフ長老の「主の側に立つ」というお話しは、ウークトドルフ長老がドイツで過ごした幼い頃のエピソードです。6歳のときに家族は教会の会員になり、ウークトドルフ長老は8歳のときに父親からバプテスマを受けました。戦争で破壊されたフランクフルトの町に住んでいたウークトドルフ長老の家族は、大変厳しい生活を送っていました。そんな中で、父親が家族をしっかりと教え導いていたからこそ、どんな環境にあっても、全員が主の側に立つことができたのだと思います。

先日、国際的なシンクタンクによって、平和な国のランキングが発表されました。日本は3位にランキングされていますが、本当に平和なのかどうかは疑問を持ちました。確かに治安の面ではそうかもしれません。しかし、今は父親と息子の関係を壊そうとする力、母親と娘の関係を壊そうとする力が、様々な形で入り込んできています。国や国境に関係なく、家庭の中に、勉強部屋の中に、インターネットを通じて簡単に入り込んできます。

ウークトドルフ長老の子供時代は、町が破壊されていても、家族の心は堅固に築き上げられていました。今はどうでしょうか?外見は美しい町、平和だと評価される国。しかし、私たちは別の形の危険にさらされています。

母の日は母親に感謝する日です。
父の日はそれほど意識されないように思います。
それならば、こちらから家族に働きかける日にしてみてはどうでしょうか。

「今度の日曜日は父の日だぞ!」
少しばかり意気込みを感じてきました。


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<平和な国 トップ10>
1 ニュージーランド
2 アイスランド
3 日本
4 オーストリア
5 ノルウェー
6 アイルランド
7 デンマーク
7 ルクセンブルク
9 フィンランド
10 スウェーデン

*これがサッカーのワールドカップの順位ならばもっとありがたいのですが・・・。


2010年6月15日 (火)

囲炉裏端会議 2nd

折よく,独立エントリーが幾つか入りましたので,公開編集会議である通称”囲炉裏端会議”も仕切り直しといたします。このように,話題が変わったときとか,独立したテーマのエントリーが投稿されたときを汐に,囲炉裏端会議も別エントリーとすることにします。ライター・編集者だけの閉じられた内向き会議にならないよう,外部から風を入れてくださる読者の皆様のコメントを歓迎します。

さてさて,現在7月号の締切直前でトンネルに入っています。今日一日かけて,ライターさんから頂いた原稿を整理/レイアウトしていました。でも現在2.5ページ,写真を入れたら3ページになりそうな勢い……
あれほど長い記事は作らないと自戒していたのに!

先月の6月号ローカルでは,シリーズものに3ページ記事が2本連打されまして,編集会議でお叱りをいただいたのです。3ページは長い!と。……いや,たしかにご指摘の通りでして。リアホナ全体が短い記事の読み切りという編集の趨勢にあるわけです。大管長会メッセージですら短くなって,今や2ページしかない。忙しい現代人は,長い記事をじっくり読んでいるひまがないのかもしれません。長い記事,読みたくないですか?

(Liahona Desk)

締切トンネル内ですが,気分転換に少しずつつぶやきます……と言って,だんだん修羅場がエスカレートするとどうなるか分かりませんが。煮詰まって来ると,一時コメントの反映や反応が遅れるかもしれません。あらかじめお断りしておきますね。

6/22 追記

先週末に7月号ローカルページを校了しました。昨日刷り出しが届いて,何とか7月号も6月中にお届けできそうです。
やっとトンネルを抜けました。結局先週は追記する余裕がありませんでしたね。
でも来月は,8月1日が第一日曜日となる関係で,締切りはまた前倒しされます。やっと光が見えたのに,次号の締切りまであと3週間しかありません。いつまで続くぬかるみぞ……

天野様コメント>>

色々と試行錯誤して、読者である聖徒達に良いと思われる記事が、集積されて行くのだと思います。

試行錯誤して行きますが,それが読者の皆様にとって良いのかどうか,フィードバックを頂ければ,と切望しております。
ライターも編集者も制作サイドですので,ちゃんと客観視点に立てているのかどうか,読者の皆様に担保していただきたいのです。このブログはそのためのツールでもあります。

7月と言いますと、ユタ州では「開拓者記念祭」で、夏休みを家族で満喫している風景が浮かびます。
開拓者達がユタ州への入植150周年記念祭に、参加した記憶が、甦って来ます。
BYUプロボ校のクーガースタジアムで、開催された有料の集会は、貴重な経験でした。
会場の都合で、人数を制限したので、苦肉の策として、初めて有料の集会が、実施されました。
>大管長が話されて、顧問の管長が開閉会の祈りを捧げました。

有料の集会というのがあったのですね!寡聞にして知りませんでした。

この行事の最後で最大のイベントは、数千人の宣教師達が、自分達が召された国々の国旗を掲げ乍らその会場へ入場した事です。

このシーンはどこかの教会ビデオで見た覚えがあります。確か『国々への旗』だったでしょうか?

何時か機会がありましたら、この様な記事もご採用願います。
>関口家族が、徒歩で参加した時の開拓者の足跡を偲ぶ行事もその会場でのハイライトの一つでした。

1997年の開拓者150年祭は懐かしいですね。当時わたしはリアホナ編集者1年生でした。1997年10月号のローカルページで開拓者記念特集を組みました。今見るとかなりごてごてした誌面にいろいろ詰め込んでいますね。今ならもうすこしすっきりとレイアウトするところです。

自分の中に,美術用語で言えばバロックというかマニエリスムというか,とにかくごてごてにいろいろ詰め込みすぎる傾向があるのを一応自覚していますので,いかに引き算するか,余計なものを入れないですっきり見せるか,レイアウトの際は気をつけるようにしています。

いろいろ詰め込んでも,読者が読む気になるかどうかはまた別の話です。いかに読む気をそそるかが問題で,読んでもらえない情報は詰め込むだけ無駄なのです。

原稿の内容も然りです。取材した立場としては思い入れがあって,あの情報もこの情報も捨てがたい,と,ついいろいろ書きすぎてしまいますが,書かないこと,引き算することで,伝えたいことをすっきりと浮かび上がらせる,というのが肝要かと。原稿が長くなって誌面を埋め尽くすたびに,反省しています。こちらの思い入れに,第三者としての読者は付いてきてくれはしないのだと。そう頭では分かっているのですが,トンネルに入って視野狭窄になった頭ではなかなか思った通りにはいきません。

(Liahona Desk)

2010年6月12日 (土)

インターネットはどこまで広いんだろう?

Universe
宇宙の大きさはどれぐらいなのだろう?
学生のときにそんなことを考えたことはありませんか?

その質問に対して、誰もが納得する明確な答えを与えてくれる情報はありません。
日々研究に励む科学者も、大まかな予測は立てられるものの、正確な答えを導きだすのは難しいことでしょう。

インターネットの世界も同じような気がします。
大きさを測ろうにも、何を計るべきなのかも私には想像できません。
掲載されている記事の数か?
または、掲載されていくスピードなのか?

感覚的には、途切れることなく膨張していることは分かりますが、果たして、測る必要もあるのかなど、疑問はつきません。

「リアホナ」6月号には、「正しいインターネット活用法」という記事が掲載されています。この記事を読みながら、意外にも「これは智恵の言葉と同じだな」と感じました。おかしいですか?

私たちに与えられている智恵の言葉の戒めは、ある程度の指針が与えられています。私たちはコーヒーやお茶を飲みません。タバコを吸いません。アルコールも飲みません。しかし、時代の流れとともに様々な商品が登場してきました。中にはどのように対処してよいか分からず、とりあえず避けているという人もいるかもしれませんね。

それらの一つ一つの商品に教会は言及していません。そのため、一つ一つの成分を確認して、過剰に反応している人もいるかもしれません。それが良いか悪いかは、ご本人の信念にもとずくものですから、人に強要すべきものではありませんし、誰もその方を否定することもできませんが・・・。

智恵の言葉については、「リアホナ」でも何度も記事が掲載されていますので、ぜひとも、それらを参照していただきたいと思います。そこには、教会の公的な指針が掲載されています。

さて、そんな智恵の言葉とインターネットの関係ですが、やはり、似ていると思います。
教会ではインターネットの使用方法について、ある程度の指針はお伝えできますが、刻々と激増する新しいサイト、サービス、ゲームについて、一つ一つをあげて論じることはできませんし、する必要もないと思います。

もちろん、社会の中で大きな影響力を持つサイトやサービスがあれば、言及するようにはなるでしょう。実際、数年前まで、十二使徒のお話の中に、ブログやツイッター、スカイプなどという名称が出て来るとは想像していませんでした。

教会はインターネットの使用を禁止していません。むしろ、効果的な使い方を奨励しています。

どこまで広がっているのか分からないインターネットの世界ですが、イエス・キリストの教えが世界の隅々まで語られるには、とても有効なテクノロジーであることは間違いないでしょう。そのうち、「在宅IT宣教師」なんて言う人も召される時代が来るかもしれません(笑)。

ちなみに、教会では、教会のインターネットサイトや機関誌で使用できる写真の募集を始めました。 提供された写真は、教会の様々な媒体でイメージカットとして活用されます。興味のある方は、下記のサイトへどうぞ!

http://www.flickr.com/groups/1369799@N24/

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2010年6月10日 (木)

岩の上に建てる方法

Scroll教会の中でたびたび引用される言葉に「岩の上に建てる」というものがあります。「岩の上に立つ」と表現する人もいますが、「岩の上に建てる」が本来の意味だと思います。主の御言葉を土台としたところに立つという象徴でしょうから、特にどちらを使っても問題はないと思いますが。

さて、堅固に信仰を持って、岩の上に建てられたものとなるために私達は様々な取り組みをします。「リアホナ」6月号に掲載されている「岩の上に建てる」を読みながら、その方法に思いを巡らしました。そのとき、Facebook に掲載された一つのニュースは大きなヒントになりました。

それは、2月に開催されたバンクーバーオリンピックで、スノーボードで金メダリストとなったトーラ・ブライト姉妹に関する記事です。6月5日にソルトレーク神殿で結婚したという記事が紹介されていました。スポーツ選手として母国オーストラリアのメディアに頻繁に登場し、彼女のライフスタイルは興味深く語られました。智恵の言葉を守っていることや、純潔の律法を守っていることは、若い世代の人々へ少なからず影響を与えるものでした。

そして、なによりも気になったのが彼女の名前「トーラ」でした。この名前は「律法の書」に由来します。主からの戒めを堅く守って生きるようにとの親の願いが込められています。まさに、彼女の名前は、岩の上に堅固に建てることを彼女に思い起こさせてくれるものだと思います。

日本人の二世や三世の教会員の中には、信仰や聖典に関連した名前を付けられた子供たちもいます。子供が信仰の道を堅固に歩んで欲しい願いが込められているのは明白です。

調べてみると、アメリカの教会員の中にも、信仰に関連した特徴的な名前を見つけることができます。

男の子の赤ちゃんで比較的多い名前には、以下のようなものがあります。

Jacob、Ethan、Joshua、Samuel、Joseph、Isaac、Benjamin・・・。

女の子の赤ちゃんで人気が高いのは、Emma です。他に、Hannah、Elizabeth、Grace、Sarah などがあります。

モルモン書に登場する預言者の名前や、開拓者の名前、主への信仰を思い起こさせる名前ですね。

自分の名前の由来は何だったのだろう?
さっそく両親へ尋ねてみることにします。

2010年6月 9日 (水)

文学における福音

Photo

前々回のエントリーに触発されてのエントリーです。

しかし,思わずコメント欄に入れちゃいましたけど,トワイライト・サーガって教会員が書いていたんですね。ライターのOさんはどこからこういう情報(ネタ)を仕入れてくるのか。英語の教会関係のサイトからでしょうか。英語の不自由なわたしにとってはうらやましい限りですが,こういうのは英語の力だけではなく,情報感度が物を言うように思います。情報感度とは,平たく言えば好奇心ですね。世界中のあらゆる事象に興味関心を持つ能力。それは教えられて身に付くものではありません。興味関心の強さとは,その人自身の心から放射されるエネルギーそのものですから。

さて,作家ということで古いネタを思い出しました。教会員の作家といえば,オースン・スコット・カードがSFの世界では有名です。1986年にヒューゴー賞,ネビュラ賞(SF界でもっとも権威ある賞)をダブル受賞しました。
1997年,この人の「消えた少年たち」という作品が日本でも翻訳出版され,翌年の『本の雑誌』(本の雑誌社刊)編集部が選ぶ1998年度ベスト10にてベスト1を獲得しました。もう10年以上前の話ですが。その後文庫版(上下巻)も出て,『本の雑誌』2003年度文庫本第1位に再び選ばれています。

当時,このトピックを日本の教会員に紹介したかったのですが,カード兄弟が来日して……とかいうならともかく,この事象だけでは,教会や福音と直接の関係性が薄かったので,リアホナ誌面には採用されませんでした。あと,リアホナの記事には,商業広告(プロモーション)につながる情報は載せてはいけないという編集方針もありますから。ただベスト1に選ばれたというだけでは,この本の広告的な記事になってしまいます。

しかし,ベスト1に選ばれるだけあって,これはとてもいい作品なんですね。翻訳も優れている。この作品の主人公一家は末日聖徒で,作品中には扶助協会,長老定員会,聖餐会,監督といった教会用語が頻繁に登場します。その翻訳に際し,出版社を通じて教会に問い合わせがあり,教会翻訳課がそれに協力したという経緯がありました。
SF作家として知られるカード兄弟ですが,この作品はSFではありません。一応ミステリ仕立てのタイトルですが,いわゆるミステリとも違う。なんと言うか……末日聖徒の家族の生活が赤裸々かつリアルに描かれており,それは下世話な部分からきわめて霊的な部分にまで及びます。そして読後感はとても温かい。末日聖徒の言う家族の愛,を,教義とは無縁の一般の方が読んでも心に響く普遍性をもって描き出した小説です。よかったらご一読ください。教会員が読めば,直球ど真ん中でつぼにはまると思います。

ちなみに引用すると,『本の雑誌』1999年1月号4ページではこのように紹介されています。

発人 99%は普通小説。すごいよ,これは。家庭小説であり,夫婦小説であり,子育て小説であり,現代に生きるあらゆる人に元気を与えてくれる。
編A あれは感動しましたね。ぼくもベスト1です。
発人 結婚している人,これから結婚する人,子育てに悩んでいる人,夫婦のあり方について考えている人,すべての人が必読と言っていい。
編長 いれこんでるなあ。ちょっと待てよ。99%は普通小説と言ったな。じゃあ,最後の1%は何なんだよ。
発人 それは言えないんだ。黙って信用して読んでほしい。たっぷり読ませて,感動して,そして,どかーんとびっくりするよ。

一般の雑誌でこう評されているんです。どうです,読んでみたくなるでしょう?
こういう作品が書かれるということから,カード兄弟にとっては,福音の教義が,建前としてではなく,個人の魂のレベルにまでしみ込んでいることが分かります。ひいてはアメリカ社会の末日聖徒の層の厚さも伺えるというものです。

映画で有名な『ナルニア国物語』を書いたC・S・ルイス(この人の言葉は時折,大会説教などで中央幹部に引用されます)の中でも,キリスト教の精神は間違いなく血肉化されていますね。ファンタジーという分野では特に,作者が魂のレベルで信じている価値観は作品中に否応なくにじみ出てしまいます。

文学作品中において,宗教的価値観を,それが浮かないように取り扱うのは並大抵のことではありません。
しかし幸福なことに,日本においてもその希有な存在が一人おられます。詩人の徳沢愛子姉妹です。福岡神殿の前メイトロンで,地元の金沢では郷土詩人として一般に知られています。

今,編集中の企画で,近い将来,徳沢姉妹の詩をご紹介する機会があるかもしれません。(Liahona Desk)

2010年6月 8日 (火)

翼に交じった灰色

Harper
大管長会メッセージの中で、トーマス・S・モンソン大管長は「翼に灰色の交じったカナリア」というタイトルでお話ししています。メッセージの中でモンソン大管長は、翼に灰色が交じった黄色いカナリアについて語り、そのカナリアが、翼に交じった色のない黄色のカナリアよりも美しくさえずっていたエピソードを紹介しています。

私たちはどうしても人を偏って見てしまうことへの警鐘となるお話しです。

しかし、これを逆にとらえてみてはどうでしょうか。
もしかしたら、私達が偏り見るだけではなく、私達も偏り見られてはいないでしょうか?

教会員ということで、それが翼に交じった灰色に思われて、偏り見られた経験はありませんか?

また、安息日に学校の部活へ参加しないことで、灰色が交じった翼を持っていると思われるかもしれません。
智恵の言葉はどうでしょうか?
宣教師として伝道へ出ることはどうでしょうか?
神殿で奉仕することは?

私たちが信仰生活を続ける上で、私たちのことを、翼に灰色が交じった人と周囲が感じることもあります。
しかし、その翼の色の違いは、高く評価されることもありますし、状況によって様々です。

本日、7日、アメリカではメジャーリーグのドラフトが始まりました。
全体の一位で指名されたのは、なんとまだ17歳の天才スラッガー、ブライス・ハーパーでした。

彼は周囲の選手と比べれば、翼に灰色が交じっていました。

飛び級で大学へ進みました。
1年生で打率4割を記録しました。
お酒も飲みませんし、タバコも吸いません。
安息日には教会へ行きます。
神権を受けている末日聖徒イエス・キリスト教会の会員です。

彼の翼の灰色は周囲から尊敬の目で見られることはあっても、疎んじられることはありませんでした。

私たちの翼にも間違いなく灰色が交じっています。

翼に灰色が交じること・・・・。

しかし、決して悪い響きではないように思います。

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2010年6月 7日 (月)

私の使命は何だろうか?

Twilight
リアホナ6月号には、「人生の使命を果たす時は今」という記事が掲載されています。

人生の使命・・・。

重たい言葉ですよね。教会の中で、何度も聞いたことがある言葉ではありませんか? リアホナにもたびたびこのテーマは登場しますし、教会の集会でもレッスンでもよく語られます。何度も聞いているうちに慣れてしまってはいませんかsmile

教会には「教会の使命」というものがあります。私達にも「教会員としての使命」がありますが、それぞれの皆さんが、ご自分の人生の使命について考えたことはありますか?

もしかしたら、「教会員としての使命」と「人生の使命」が同じと答える人もいるかもしれませね。それも良い答えだと思います。「教会員としての使命」に加えて、「自分の人生の使命」を別に持っている方もいるかもしれません。

せっかく、この世に生を受けたのですから、自分自身がこの世で成し遂げたいことに思いを向けて、自分は何を成そうとしているのか考えてみてはいかがでしょうか。

実は、最近、「人生って何が起きるか分からない」と感じさせてくれたニュースがあります。
それは、アメリカの人気小説「トワイライト」を読んだいたときのことです。

日本ではそれほど知られていませんが、アメリカでは大人気です。
世界各国でも出版され、ハリー・ポッターと同じような勢いでベストセラーになっています。

その作者、ステファニー・メイヤーは、末日聖徒イエス・キリスト教会の会員で、ごくごく普通の主婦だったのです。
ちょっとしたことがきっかけで、小説が爆発的にヒットし、彼女は一躍有名人になってしまいました。
多くの取材を受ける中で、彼女のコメントは少しづつ変わってきました。

有名になった彼女は、以前考えていなかった人生の使命を今、感じ始めています。
私達も「人生の使命」と言われても、少しばかりの「夢」を語ることしかできないかもしれません。
しかし、環境が変わり、生き方が変わり、見えるものが変わって来ると、少し遠くへ隠れていた使命が見えてくることがあります。

すべての人には「人生の使命」があると思います。
しかし、それに気づかずに次の世へ旅立ってしまう人がほとんどです。

「自分には何か必ず人生の使命がある!」
そう考え始めることで、人生の使命を見つける旅へ、一歩踏み出すことができます。
私もさらに一歩、踏み出すことにします。

ご参考まで↓
http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2733059/5836962

2010年6月 5日 (土)

囲炉裏端会議,はじめます

このブログを始めたとき,こんな「言挙げ」を記しました。

そこには,このブログを〔囲炉裏端会議〕の場にしたい,という編集側の気持ちを記しました。

さて,1周年を迎えたリアホナブログ,さらにいろいろな試みにチャレンジしていこうと思います。その一環として,「囲炉裏端
エントリー」というのを始めます。

従来のようなブログ記事も今後,続けて参りますが,その一方で,もうすこし肩の力を抜いた編集・ライターの声もお届けしていこうと思います。それが囲炉裏端エントリー,です。

これまでコメント欄にお寄せいただいた声に,編集室側からお返事するコメントを重ねることがありました。
そういうちょっと気楽な井戸端会議,もとい囲炉裏端会議をブログ本文で展開してみようという試みです。

ここで編集スタッフやライターがおしゃべりをしますので,読者の皆様も,コメント欄にツッコミをお寄せください。そのコメントもブログ本文に取り入れつつ,日々,「心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば……」と徒然草風に綴って参ります。

スタッフライターの皆さん,見てますか?
どんどんつぶやいてくださいね。

理屈はさておき,こういう試みはどうなるか分からないなりに,やってみることに価値があると思います。おしゃべりが好きな人は多いですけど,何かを発言するのは楽しいものです,脳が活性化しますから。それに答えが返ってくるとなお楽しい。人とつながりたいという思いは,食べることや寝ることと同様な,人の基本的欲求です。まずは始めてみましょう!


6/7更新>>>>>>

早速,コメントを頂いていますね。ありがとうございます。

まずは天野様より,カントリーウェブの間違いのご指摘をいただきました。ジュリー・B・ベック姉妹の肩書きの間違いは早速訂正いたしました。わたしが作業した部分でした。申し訳ありません。
「モルモン書から」の部分の間違いにつきましても,具体的にご指摘いただければ,すぐに担当者へ通知いたします。

教会公式ウェブサイトは,ボランティアの皆さんをはじめとする多くの人間がその保守と更新にかかわっています。チョコ大好き,様よりご指摘いただいた,ユニットの集会時間についても,わたしには直接訂正する権限がありません。すでに一度ご指摘くださったとのことで恐縮ですが,こちら(リアホナブログ)にも具体的情報を頂ければ,担当者に訂正するよう申し伝えます。

B1 Writer さんのコメント

「リアホナ」の目次には「今月号の中に隠れているリアホナを捜しましょう」という子供向けのメッセージが掲載されています。リアホナの誌面のどこかに、リアホナのイラストが隠されているのを子供たちが捜すゲームのようなものです。

今回、天野兄弟がホームページの表記の間違いを二つも見つけてくださいました。これは、とても助かることです。やはり、校正者が読んだつもりでも、見落としてしまうことがありますので・・・。
そのうち、リアホナの誌面やホームページに「今週の誤植を捜してください」なんてメッセージが載るかもしれませんよ(笑)。見つけた数に応じて、称号が与えられるようなゲーム感覚で・・・。

B1 Writerさん,過激なご意見ありがとうございます……(笑)
プロの編集者,校正者の間では,誤植というのはとても厳格に捉えられていたように思います。誤植はプロの恥,という感覚は,出版業界では今でも息づいているでしょうね。そんなところに「ゲームです。今週の誤植を探してください」なんて言ったら不謹慎のそしりを免れない……恐〜い熟練校正者の先輩方の顔が浮かんで来ます(笑)

ところで,言い訳するわけではないのですが,ウェブという電子メディアのいいところは,間違いに気付いたらすぐに直せるところです。
iPad の上陸が黒船襲来のように騒がれている昨今,電子出版の可能性が日本の出版業界の将来に大きな影響を及ぼそうとしています。iPadという端末は,多くの雑誌や書籍が紙に印刷されず,ネット上のダウンロード情報としてやり取りされるような時代を予感させます。紙の本がなくなることはないでしょうけど,実用書やビジネス書など,紙の本として愛蔵する意味があまりない分野の本は,電子出版のシェアが大きくなるのではないか。

そうすると,まず出版にかかる経費が劇的に下がります。印刷しないわけですから,売れ行き予想とか在庫のバランスとかあまり気にする必要はなくなります。すると,テーマに一般性がなく,これまではとても採算が取れないと思われた,リスキーな企画の本でも(電子)出版できるようになります。文化的には大きな機会が開かれることになるのではないでしょうか。
そうした出版は,まずタイムリーネスが命でしょうから,迅速に出版して,多少の誤植や誤りはご指摘を受けてから訂正しよう!なんてことになるかもしれません。

近頃,「集合知」という言葉が聞かれます。いろいろな意味合いで使われる言葉ですが,ここでは単純に,ネット上の情報を多くの方がご覧になって,誤りを指摘し,それを訂正し,結果的に情報が正確になってゆくという意味で使っています。
この「囲炉裏端」が,そうしたご指摘の受け皿となるのも良いかと思います。ひいては,集合知のひとつの結節点になれれば,と思います。(Liahona Desk)


さてさて,こんな感じで,お寄せくださったコメントも本ブログに取り込みつつ,追記を繰り返して行くというのが,「囲炉裏端エントリー」のスタイルなのですが,どうでしょう。ライターの皆さんは,この後にさらに追記してくださっても構いませんよ。

これは言ってみれば,公開編集会議,みたいなものなのですね。読者の皆様にも参加いただけるという。

まだちょっとエントリーのスタイルが固いような気もしますが。おいおい変えていきましょう。
追記に追記が重なって,あまり1エントリーが長くなるのも何かな……とかいろいろ考えています。試行錯誤の道半ばですが,読者の皆様もライターの皆さんも,よろしくお付き合いください。

6/8更新>>>>>>>>>>

時間厳守について率直なご意見を頂いていますね。昔は「モルモン・タイム」というと時間通りに始まらなかったり遅れて来たりすることを揶揄して言ったものですが。教会員や宣教師は基本的に優しく,人を責めたりしないので,少しぐらい遅れても……と甘えが出てしまうのかもしれません。

時間についての観念は国によっても違い,ラテン系,南方系の国では日本人駐在員がカルチャーギャップに悩むことも多いようです。日本人は特に時間に厳格ですから。日本の鉄道の運行時間の正確さは世界に冠たるものです。一方,国が変われば常識も変わりますね。長い人生,5分や10分にあくせくして何になる,というのも一つの見識かもしれません。日本人はまじめで労働の質も生産性も高いですけれど,一方で年間の自殺者が3万人にのぼる高ストレス社会でもあります。どちらが良いかは一概に言えませんね。

ちなみに,リアホナは,総大会号を除いて,基本的に前月末までにはお手元にお届けできるよう制作進行スケジュールが組まれております。この5月号は,例外的に遅い発送(5月7日発送)となりましたのでそのことをおっしゃっておられるのかな,と思います。

日本の場合,4月の大会号の印刷時期はゴールデンウィークにかかるので,印刷工場がストップしてしまいます。連休前は印刷所も混み合いますし,入稿タイミングのわずか1日2日の差で,連休前に発送できるか,連休明け(1週間後)の発送になるかが決まってしまいます。印刷入稿日は,ソルトレークから写真や組版テンプレートがいつ届くかによって左右されます。ソルトレークからデータを受け取って3日後には日本語版データを完成させ,印刷に入れていますが,今回のスケジュールで連休前発送をしようとすると日本語版制作に充てられる時間が0日となり,物理的にどうしても叶いませんでした。

まあ延々と言い訳をしているように受け取られるかもしれませんが,大会号についてだけは,どうかご理解くださいますよう,お願いいたします。

2010年6月 4日 (金)

1歳になりました!

もう6月ですね。このリアホナ・ブログが産声を上げてから1周年を迎えました。誕生日は,5月28日。これまでここを訪れてくださったすべての皆様に感謝!です。

と言っても,リアホナ誌上でブログについて初めて告知したのは2009年9月号でした。6月から開設してはいたのですが,当初はひっそりと試行錯誤しながらやっておりましたので。

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さて,6月号のリアホナ(本誌とローカルページ)PDF版を本日,ウェブでも公開いたしました。
表紙からもお分かりのように,今月はITテクノロジー特集です。昨年9月のエントリー,現在のことをありのままにでお伝えしたデビッド・A・ベドナー長老のメッセージもそのまま収録されています。このエントリーには結構コメントを頂きました。それだけ現代を生きるわたしたちには関心の深いテーマなんでしょうね。

さて,リアホナブログも1周年を記念して,ちょっとずつ変わっていこうと考えています。
どこが変わっていくのかは,まあお楽しみということで,明日以降のブログをご覧ください。


2010年6月 3日 (木)

偶然なのでしょうか?

Palmyratempleリアホナ6月号のローカルページに掲載された「一つの扉が閉じるとき、別の扉が」という記事は、「希望を見いだす」というシリーズの一つとして取材しました。登場してくださったのは、東京の国立ワードの羽岡姉妹。若くして亡くなったご主人さんとの闘病生活は、私達に大きな希望と勇気を与えてくれました。

難病を患ったご主人の利明兄弟の揺るがない信仰は胸を打つものでした。しかし、誌面で紹介できなかった、ちょっとしたエピソードも感動的でした。その始まりは、利明兄弟の闘病中の出来事から始まります。

同じワードに所属していた一人の会員が、旅行でパルマイラを訪れました。パルマイラは、聖なる森クモラの丘がある場所です。彼女はそこで一人のアメリカ人の姉妹宣教師と出会います。国立ワードのその姉妹から、難病と闘う羽岡兄弟のことを聞いた姉妹宣教師は、一つの聖句をカードに書き、旅行していた姉妹に託しました。そして、彼女は帰国後に、その聖句が書かれたカードを羽岡姉妹に渡します。羽岡姉妹が、そのカードを病床の利明兄弟へ届けると、彼は聖句を読みながら涙を流し、自分の信仰をもっと確固としなければならないと語ったそうです。

羽岡姉妹によれば、利明兄弟がベッドで涙を流している姿を見たのは、そのときだけだったそうです。遠いアメリカのパルマイラで、自分の病気を気にかけ、メッセージを送り、祈ってくれている人がいることを知り、闘病生活をさらに前向きに歩むことができるようになりました。

羽岡兄弟は、医師の予想に反し、1年10か月の長期間の闘病生活に耐え、41歳の若さで他界されました。

その後、羽岡姉妹は幼い子供たちを連れて、アメリカへ旅立ちます。子供たちへ試練に耐えて旅をした開拓者の姿を感じてもらいたいというのが一つ。そして、もう一つの目的が、聖句を贈ってくれた姉妹宣教師へお礼を伝えたいということでした。

しかし、姉妹宣教師は既に任期も終えていましたし、どこに住んでいるかも分かりませんでした。パルマイラの伝道部へ行けば、何か分かるかもしれないという思いだけで旅立ったのです。羽岡姉妹と二人の息子は、パルマイラのアメリカ人家族の家に、滞在させてもらうことになりました。到着した日に、羽岡姉妹は、その家の奥さんから次のように言われます。

「ごめんなさいね。あなたたちに我が家へ泊まってもらうのですが、実は、他の家族にも泊まってもらうことになったの。以前に、ここで伝道していた姉妹宣教師が家族と旅行してきて、急に泊めてくれないかと言われているの。」

そして、その帰還宣教師と家族が到着しました。驚いたことに、彼女こそが、羽岡兄弟へ聖句を贈り、羽岡姉妹が探そうとしていた姉妹宣教師だったのです。

こんな偶然があるのかと驚くかもしれません。羽岡姉妹は、「偶然ではない」と信じています。私達の生活には「偶然」という言葉で片付けてしまうことができる、神様の祝福や奇跡がたくさんあることに気づかされるエピソードでした。

2010年5月18日 (火)

タールが入ったバケツはどこだ

Tar「主に心を向ける」というテーマで七十人会長会のドナルド・L・ホールストロム長老が話されたものが、「リアホナ」5月号に掲載されています。4月に開催された総大会の日曜午前の部会のお話しです。

ホールストロム長老は、出産によって子供を失い、信仰を失った若い夫婦について紹介しました。そして、同じように子供を失いながらも信仰深く過ごした夫婦と比較しながらお話しされました。つまり、私達は人生の中で様々な試練にあいますが、その試練に対する反応は様々であるということです。人を憎み、主を憎んで道を離れる人もいれば、どのような環境に置かれても主の道から離れない人もいます。聖典や歴史の中には、そのことを象徴する話しやエピソードが溢れています。

そして、ホールストロム長老は、サイモンズ・ライダーという人物について紹介しています。教会歴史の中ではたびたびその経歴とエピソードが紹介される人物です。簡単に述べれば、熱心な改宗者だったサイモン・ライダーが大管長会から伝道の召しの手紙を受け、その書面に彼の名前が記されていたのですが、名前の綴りが一文字間違っていたというものです。

ライダーの綴りが、「Ryder」ではなく「Rider」になっていました。それが発端になり、教会を離れ、ジョセフ・スミスを迫害しました。ジョセフが暴徒によって体中にタールを塗り込まれたとき、暴徒の一人が叫んで響いた言葉が「サイモンズ、タールが入ったバケツはどこだ」というものでした。

ここでは少し見方を変えて考えてみたいと思います。

たった一文字名前の綴りが間違っただけで・・・。とほとんど人が思うエピソードですが、本当にそうでしょうか。もし、自分の立場だったらどうでしょうか。おそらく、嫌な気分はしても、嬉しい気持ちにはならないと思います。人はそれぞれ大切にしているものや考えがあり、それが傷つけられたり、軽々に扱われることで、失望することがあります。

ある人は、自分の所有する車を大切にしピカピカに磨き上げます。しかし、車は単に移動の道具と考えて汚れたままでも平気な人もいます。親から引き継がれた形見のような箸を思い出の詰まった宝と考える人がいれば、それを、割り箸と変わらないと思う人もいます。とても難しいことですが、私達の持っている価値観がすべてで、誰もが同じように思っていると考えてはならないということです。

主の道を離れた例として語られるサイモンズ・ライダーですが、見方を変えれば、黄金律を思い起こさせてくれるようなエピソードとしても残ります。

私達は非難されると当惑し、自分の考えや価値観と違う場合、一方的に相手が態度を正すべきと思いがちです。しかし、最初の段階で誤解が解かれれば、大きな問題に発展せずに解決される例も少なくありません。それができないのは、私達のプライドが邪魔をしているからなのではないでしょうか。個人のプライド、チームのプライド、組織のプライド、教会員としてのプライド、私達は多くのプライドに包まれて生活しています。

ハワード・W・ハンター長老が大管長として支持された後に語った言葉は印象的でした。傷ついた心を持った人々に向かってメッセージを発しました。再び、主の道に戻り、私達を隣に立たせ、涙が乾く手伝いをさせて欲しいというものでした。もう一度戻って欲しいという願いを込めて、優しく「Come Back」と語りました。

人々がタールの入ったバケツを持って向かってくるのか、タールの代わりに、花束や澄んだ水を携えて向かってくるのか。
人々が手に何を携えて来るかは、私達の態度によって変わるのではないでしょうか。


2010年4月22日 (木)

いつもと違うことに気づきましたか?

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総大会の衛星放送も終了し、皆さんの手元には、そろそろ総大会特集号が届けられることと思います。今回の大会も霊感溢れる素晴らしいメッセージばかりでしたね。

さて、その総大会ですが、ご覧になっていて「おやっ?」と思われたことはありませんでしたか?
ここ最近の大会とは少し違うところがいくつかありました。

まずは、土曜日の午前の大会です。土曜日の午前の大会は、日本時間で日曜日の午前1時からインターネットで放送されますので、ご覧になる方も多いかと思います。私も期待して見ていました。特に教会指導者の支持や解任が行われるので、どんな人が召されるのか等、興味津々で見ていました(笑)。

ところが、今回はそのような発表は行われず、教会指導者の支持と解任が行われたのは、土曜日の午後の大会でした。前回の大会までは、いつも土曜日の午前の大会で行われていましたし、十二使徒のニール・L・アンダーセン長老が召されたときは、支持をとる前に、大会の冒頭の歓迎の挨拶の中で、早くも、モンソン大管長が発表していました。

しかし、今回は、土曜日の午前の大会では何も行われませんでした。早速、調べてみたところ、最近の大会では、大管長や十二使徒の死去により、新たに大管長が召されたり、十二使徒が召されることが続きました。大管長会と十二使徒定員会の会員の変更があるときは、土曜日の午前の大会で行われるとのことです。そのため、それらに関連する事案がなければ、土曜日の午後の大会で行われるのが、通例だそうでそうです。なるほど・・・。

さらに、もう一つ。
いつもは神権会だけは、インターネットで放送されることはありませんでしたよね。ところが、今回からは、インターネットでも神権会を視聴することができるようになりました。どうして、今まで神権会だけ放映しなかったのか、詳細は分かりませんが、教会の大会が益々広く開かれていっているのを実感しました。今まではアーカイブでも見ることはできませんでしたが、教会の公式サイトの総大会のページでは、今回から神権会の録画データも閲覧することができます。

既に先のブログ記事で紹介しましたが、総大会のインターネット放送の技術は、かなり進歩しています。今回の大会の放送で、ライブ放送の途中で、数秒戻ったところへ移動して放送を見てみましたが、問題なくスムースに見ることができました。ライブ放送をしながら、そのまま録画データも配信されていました。ライブ放送で少し聞きにくかったところでさえも、さっと戻って見直すこともできます。

総大会の季節は、素晴らしいメッセージを聞けるだけではなく、個人的には、IT技術の進歩を確認できる季節でもあります。早くも10月の総大会が楽しみになってきました。

2010年4月15日 (木)

総大会ノート,使ってみた?

ただいま,リアホナ総大会号編集たけなわでございます。
本来,現場は書き入れ時のこの時期,ブログを書いている場合ではないのですが,とても嬉しいメールを頂いたので,ご紹介したくてエントリーしちゃいます。 

北海道にお住まいのお母さんからのお便りです。
今,日本語版教会公式ウェブサイトのトップページに出ている,「総大会ノート」を早速ご活用くださり,とても微笑ましい写真付きで報告してくださいました。

Coverconferencenote_2
 「小さい子供を持つ親にとって、総大会を落ち着いて聞くことは大変なことだと子供が増えるごとに実感しております。
親が神様を、預言者から語られる言葉を大切に思っていること、この時間がとっても意味があることを言い聞かせてはいるのですが、子供たちにとって、なかなか何時間もじーっと座っているのは難しいことのようです。
今回の総大会では、このノートを持っている子供たちの姿が数多く見られました。
みんなきれいに表紙を塗り絵してありました。

 Monsonゆうちゃん。5歳。お話を聞きながら、太陽、月、星、雲や動物、アダムとエバの絵を描きCTRで習った創造をちゃんと理解していることを知りました。
 ゆいちゃん。4歳。話者が変わると誰よりも早く十二使徒の顔写真を探しあてて驚かされました。話者の名前に、にこにことマル印をつけていました。日曜の朝にははじめて『トーマス・S・モンソン管長って言えるよ!』と長い名前を教えてくれました。
 ひびきくん。7歳。去年実際にお会いしたべドナー長老のところに『旭川にきたひと』と記入。ノートは将来振り返ると宝ものになると思います。札幌神殿想像図も描きます。
 そうたくん。7歳。お母さんと一緒にお話のポイントを記入していました。月曜日には家庭の夕べでお話の復習をするそうです。二人の男の子は今年バプテスマを受ける準備を頑張っています。将来の神権者のたまごたちです。

Scott
スコット長老のところは,『あめりかでひーちゃん(おば)あったことあるよ』と書いてあります。

まだまだ幼くて大会の内容をくみとるまでには数年かかると思いますが,とてもよいきっかけになったと思います。

写真はとらなかったのですが。アイリング管長のところに
『にほんのつつうらうらにしんでんがたちらら(なら)ぶであろう』とよげんしたひと
と書かれてありました。

 土曜日、日曜日と長い間いつもは座っているのが難しい子たちが、今回はがんばって預言者の話を聞こうとする姿に頼もしさを覚えました。インターネットで自宅にて聞くこともできますが、衛星放送では預言者の普段の姿を垣間見ることができ、とても身近に感じることができます。また歌もすばらしく、視覚的に訴える映像も入り大人にも子供にも分かりやすく、飽きさせない工夫がなされています。大管長会がユーモアを交え会場が沸く様子や、思いがけない十二使徒のウィンクや、閉会後のヒンクレー大管長がステッキを上にあげた姿もいまだに焼き付いています。

 さて、彼らは神殿に来ると天幕を張った。男たちは皆、自分の妻と息子、娘、孫からなる各々の家族に応じて、最年長の者から最年少の者まですべての家族が互いに離れて場所を取った。…天幕の中にいながらベニヤミン王の語る言葉が聞けるように、すべての者がその天幕の入り口を神殿の方に向けていた。(モーサヤ2:5-6参照)

 子供たちの母親は16歳で教会に改宗しました。年月を超え今子供たちが一生懸命福音を学んでいます。数十年後、総大会衛星放送で今度は祖母、また曾祖母として子供たちが孫やひ孫たちを教えながら一緒に参加することを想像しながら… 
 素晴らしい教材をありがとうございました。」

 いえいえ,ありがたいのは私ども(制作スタッフ)の方です。準備した教材をお子さんに使っていただけて,仕事人冥利に尽きるというものです。
 皆さんの周りで,このノートを楽しんだお子さんはいらっしゃいますか?
 よかったらどんなご様子だったか,教えてくださいね。

(Liahona Desk)

2010年4月 5日 (月)

全国青少年「バーチャル」座談会!

リアホナ日本語版編集室では,印刷物としてのリアホナを毎月お届けすると同時に,インターネットを通じた情報発信をも随時行い,ネットの特性である双方向性を生かした誌面作りを進めていこうとしています。
えー,小難しい言葉遣いですみません。具体的に言えば,このブログをはじめ,日本語教会公式サイトなどを通じてエントリーや動画などを投げかけて参ります。それにコメントやトラックバックを返してくださる読者の皆様とのやりとりを通じて,皆様の関心のありかたを読み取り,読者の皆様にとってより興味深い,面白い,読んでいただける誌面を作っていこうということです。

そうした企画の一環として,実験的に,『日本縦断・青少年オンライン座談会』というものをやってみようと計画しています。

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ざっとこんな仕組みです。(左図はクリックで拡大します)日本全国からご推薦をいただき,編集室の独断と偏見に基づいて選出した各地の青少年に,パスワードを発行します。そして座談会メンバーだけがログインできる掲示板を10日間くらいの期間限定で設営し,その掲示板上で特定のテーマについて自由に話して(書き込んで)いただこう,というものです。アクセスは(パケ放題に加入していれば)携帯電話から,またはご家庭のPCからしていただきます。この最初の掲示板でのやりとりは非公開ですが,掲示板に残された記録を編集してロングバージョンとショートバージョンを作り,それぞれリアホナブログとリアホナ本誌に掲載します。ブログではそのやり取りについて皆様からのコメントを広く受け付けます。コメント欄で更なる見解のやりとりがなされるといいなあと編集としては思っています。

このブログは閲覧されている方の年齢層が比較的高いようですので,親や指導者として青少年をご推薦くださることを期待しています。もちろん青少年ご自身による自薦もOKです。

インターネットの最大のメリットの一つは,世界中どこにいても,アクセスすればその場にいるのと同じ,という空間を超えることのできる特性だと思います。この企画は,北は北海道から南は沖縄まで,実際の居住地にかかわらず,青少年たちが一つの掲示板に集うという,いわば『バーチャル座談会』です。

さて,今回のお題は……

日本の社会状況においては,青少年も,携帯電話やメール,携帯音楽プレーヤー,ゲーム機,インターネットなどの便利な情報機器を使うことができます。わたしたちはこれらの情報テクノロジーに,どのように接するとよいのでしょうか。

2月25日付けの当ブログ,「福音を広める有力な手段」というエントリーでは,そうした便利な情報機器を多数あげた上で,「大丈夫なのでしょうか?」との漠然とした不安が語られています。
科学技術は諸刃の剣とよく言われます。便利な反面,何か上手く言葉にできないもやもやとした不安もつきまとっています。
最近はツィッターが話題になっていますが,変化を続ける情報テクノロジーの世界において,常に適用できる何らかの原則はあるのでしょうか……。

以上のようなテーマをウェブ上で話し合ってくださる青少年を募集します。
ネット上の掲示板という情報テクノロジーを使いながら,情報機器の適切な使い方について考える,という趣向なのですね。
実際の座談会は,編集からの問いかけと,青少年の皆さんそれぞれの発言とのキャッチボールの形で進めていくつもりです。

まずは,青少年ご自身のメールアドレス(携帯メール/PCメールどちらでも)と
氏名,性別,年齢,所属ステーク/地方部,ワード/支部 を明記の上,以下のアドレスへメールでご応募ください。

okadat@ldschurch.org

ご推薦の場合は,推薦者の方のお名前と所属ユニットもお願いします。
自薦,他薦を問わず大歓迎いたします!

総大会の日本語版動画がアップされました

日本時間,4月4日(日)の午前1時から,今朝4月5日(月)の午前7時にかけ,米国ユタ州ソルトレーク・シティーのカンファレンスセンターにて第180回年次総大会が行われました。リアルタイムのインターネット放送をご覧になった方々もいらっしゃることでしょう。
さて,現時点(4月5日(月)午後3時)において,日曜午前の部会と,中央若い女性集会を除く4つの部会が,教会公式ウェブサイト上にて映像付き日本語でご視聴いただけます。総大会の日本語版動画がアップロードされるのはこれが初めてのことです。

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(「聞く」の欄がオーディオファイル,「WATCH」の欄がムービーファイル)

音声ファイル(MP3),また動画ファイル(MPEG-4)をダウンロード(アイコンを右クリック→プルダウンメニューから「リンク先のファイルをダウンロード」)し,ダウンロードファイルをiTunesにドラッグ&ドロップして iPod(携帯用プレーヤー)と同期すれば,総大会のムービーまたはオーディオファイルを持ち歩くことができます。

動画ファイルは,土曜午前の部会だけで872MBの容量がありますので,コンピュータ環境によってはダウンロードにかなり時間がかかるかもしれません。オーディオファイル(土曜午前の部会)は圧縮データで80MBあまりの容量ですので,ムービーにくらべてほぼ10分の1で済みます。圧縮データはダブルクリックで自動解凍します。

Ipod_on_conference


さて,総大会は衛星放送で視聴するのもいいのですが,携帯音楽プレーヤーに入れて持ち歩くと,また違った良さがあります。同じお話のはずなのに,耳から聞くものと,文字で読むものはどこか違います。上手く言えないのですが,耳からのお話は,心にダイレクトに入ってくるライブ感覚みたいなものがあるような気がします。さらに携帯音楽プレーヤーで何度も繰り返して再生すると,話者のお話が身体へだんだんしみ込んでいくような感じがします。(あるいはこれは筆者だけの特殊な感じ方でしょうか?)

衛星放送時の通訳は,リアホナに文章の形で収録される際,さらに慎重な翻訳の見直しとブラッシュアップが行われます。話者自身から,出版にあたって若干のアデンダム(追加,補遺)が加わることもあります。情報コンテンツという面で言えば,衛星放送時の通訳よりもさらに正確かつ豊かなものになっているはずなのです。

にもかかわらず,前述の「ライブ感覚」というのは捨てがたいものがあります。耳で聞く言葉は,目で読む文字よりも,心にすっと入ってきやすいような気がしてならないのです。

今回の土曜午前の部会,最初のお話で,モンソン大管長は,モンソン姉妹との最初のデートのために姉妹の自宅を訪れ,姉妹のご両親と初めて会ったときのエピソードを語っています。そのときのユーモアにあふれた仕草は,文字の形になりにくいものです。けれども先に,映像や音声に繰り返し接しておくと,文字を読んだとき,大管長の生き生きとした表情や仕草が脳裏によみがえります。

この総大会の季節に,こんな楽しみ方を加えられてはいかがでしょうか?

2010年4月 2日 (金)

信仰を試す実験

Hikari4月号の「リアホナ」の記事の中で、気になる言葉がありました。
それは「信仰を試す実験」というものです。青少年向けの短い記事ですが、「信仰」と「実験」という言葉を結びつけることに興味を持ってしまいました。

ほとんどの人は、小学校の理科の授業や中学校の科学の授業で、「実験」を経験したことがあると思います。私が記憶している簡単な実験には、リトマス試験紙に液体を落とし、酸性かアルカリ性かを判別するものや、光の三原色の実験、ドライアイスや静電気に関するものがありました。どれも簡単な実験で、新しいものを発見するというよりも、教科書に書かれていることを確認するようなものばかりでした。光の三原色の実験では、赤、緑、青の光が重なると無色の光になることは、ほとんどの生徒が実験をする前から知っていました。静電気の実験でも同じです。薄いプラスチックの板を衣服でこすって、髪の毛の上にかざせば、髪の毛が逆立つことも実験の前に知っていました。知ってはいましたが、確信している結果が出るのを期待して、生徒たちはにぎやかに実験に取り組みました。

「リアホナ」の記事に掲載されている「信仰を試す実験」もこれらの実験に近いのではないでしょうか。私たちは「信仰を試す実験」によって、新しい大発見を求められてはいません。既に何千、何万という人々が行ってきた「信仰を試す実験」を行い、その結果を確認することが大切なのです。「信仰を試す実験」は、聖典に記されている人々も試してきましたし、私たちが行うことも勧められています。

子供のときに、理科の実験を行って、期待通りの結果が得られなかったこともあります。他の生徒の実験結果と自分の結果が異なり、不思議に思うことがありました。しかし、それは、小さなミスが原因によって引き起こされた結果でした。「どこかが違うのか?」と思って、正しい手順を確認することで、自分の実験方法に間違いがあることを知ることができたのです。

「信仰を試す実験」も正しい手順に従えば、「モルモン書」に記されている約束通り、聖霊の力によって、それが真実であるかどうか知ることができます。ときには、思ったように実験結果を得られないこともあるでしょう。そのときには、「どこかが違うのか?」と自問してみてはどうでしょうか。既に「信仰を試す実験」を何度も経験している人も私たちの周りには多くいます。彼らから、信仰の実験の手順や体験を聞くのも良いと思います。そして、「信仰の実験」で得られた結果こそが、私たちの信仰の証になるのだと思います。

そして、「信仰を試す実験」とは、私たちが証を得るために必ず行わなければならない実験でもあります。

「実験」という言葉を聞くとワクワクしませんか?
個人で、または、家族で「信仰を試す実験」を行ってみてはいかがでしょうか。

2010年3月31日 (水)

神の大いなる業

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「リアホナ」4月号の大管長会メッセージの中で、ディーター・F・ウークトドルフ管長が、「神の大いなる業」についてお話しています。その中にソロモン・チェンバレンという初期の教会員が登場します。

記事の中にもあるように、ソロモン・チェンバレンは、製本される前の「モルモン書」の原稿を携えて、伝道へ旅立ちました。実はこのとき、チェンバレンは、まだ教会員ではありませんでした。バプテスマも受けていませんでしたし、教会もまだ正式に組織されていませんでした。

旅の途中で「金の聖書」について耳にし、ジョセフ・スミスを訪ね、聖霊に満たされて福音を伝えずにはいられない思いに駆られたのです。

ソロモン・チェンバレンの記録を読むと、短いながらも興味あることが記載されています。カナダへ福音を伝えに出かけるのですが、そこで出会った人々に迫害されます。二人の人物からだいぶひどい嫌がらせを受けたようです。そして、記録には、その後、その二人が哀れにも亡くなったと書かれています。懸命に福音を伝えていたチェンバレンには、不思議な出来事として印象に残ったからこそ記録したのでしょう。そして、そこで、将来ジョセフ・スミスの後を継いで教会を導くことになるブリガム・ヤングに出会います。

教会が組織された後に召された最初の宣教師は、ジョセフ・スミスの弟のサミュエル・H・スミスです。しかし、サミュエルが召される前に、回復された福音を伝えたいという情熱を持って伝道した人物がいたことはあまり知られていません。

ウークトドルフ管長は、ソロモン・チェンバレンの生涯から、霊感に導かれる大切さについて語っています。私たちの生きる時代は情報で溢れていますが、その中から、真理を識別するには御霊の助けが必要です。また、真理を求めて自分で確かめたソロモン・チェンバレンのように、私たちも、パソコンの前に座って情報収集するだけではなく、実際に行動を起こし、証を持つことが必要なのではないでしょうか。

ちなにみ、こちらのサイトでソロモン・チェンバレンの家系図を見ることができます。

名前の欄には「Solomon Chamberlain」と入力してください。
生年月日は「30 Jul 1788」です。

ちなみに、4月号の「リアホナ」には、伝道へ旅立った約40名の若者の紹介がされています。この宣教師たちの写真を見ると、ソロモン・チェンバレンのような伝道に対する熱意が、末日聖徒イエス・キリスト教会には連綿として引き継がれていることを感じます。


2010年2月25日 (木)

福音を広める有力な手段

1211569560social_media_22月号の「リアホナ」に「オンラインビデオは福音を広める有力な手段」というニュース記事が掲載されています。動画配信サイトのユーチューブから配信されている「モルモンメッセージ」についての記事です。インターネットを通じて、時間に制限されることなく、あらゆる場所からアクセスされるので、その視聴者数は膨大に増え続けています。

数年前までは、教会の中でそれほどインターネットについて重要視されていなかったように感じます。これは、私たちの教会だけに限らず、政治、教育、ビジネス等の分野でも、それぞれが納得する効果を得るために試行錯誤してきたように思います。その状況は、現在も継続しています。

インターネットが一部の人々の間で流行の兆しを見せ始めた1995年前後には、ホームページを作成したところで、誰も見てくれない、また、メールアドレスを作ったところで、誰も送受信する相手がいないという状況でした。今は、老若男女を問わず、メールアドレスを持っています。個人のホームページを立ち上げて、趣味や家族を紹介している人も多くなりました。

その反面、新聞の購読者数は減り、テレビ番組も制作費が削減され、音楽業界のCDや書籍も売れなくなりつつあります。人々はインターネットで新聞を読み、パソコンや携帯で番組を視聴し、iPodで音楽を聴き、デジタルブックで読書をし、オンライン注文で買い物をし、ブログで考えを述べ、メールで愛を告白し、グーグルで宿題をこなし、スカイプで会議をし、ウィキペディアで博識になり、フェースブックで友情を深め、ツイッターで日々の生活をぼやきます。

総大会もインターネットで視聴できる時代なのですから、ちょっとした教会の集会であれば、ユーストリームでライブ放送される日が訪れるかもしれません。スカイプでホームティーチングや家庭訪問をしたという会員の声も聞いたことがありますし・・・。

大丈夫なのでしょうか?

何がですか? と尋ねられるかもしれません。

何かが・・・・。 としか言えません。

インターネットの中に人生のすべてを見いだせると信じている人もいます。また、これほど便利なものもありませんから、人類が生み出した知の財産を活用しないというのも得策ではありません。問題はバランスと選択にあるように思います。バランスは言うまでもないことです。十二使徒のバラード長老も、多くの時間を費やすことのないようにと勧告しています。

では、選択はどうでしょうか。先の述べたインターネットのサービスのうち、どれだけ知っていますか。

フェースブック、ツイッター、ユーストリーム、ウィキペディア、スカイプ、ブログ、ユーチューブ・・・。

使ったことがないものもあることでしょう。これらを使えないと、時代遅れなのでしょうか? ある有識者は次のように語っています。「インターネットの様々なサービスを器用に使いこなすことで、あたかも、その人が卓越した能力のある人間だと思われることがあります。しかし、それは単なる技術であって、人間の本当の魅力や能力とは異なります。それにも関わらず、これからは、インターネットを使いこなせない人を、能力に欠けていると見下すような社会が到来するかもしれません。」

リアホナの記事にあるように、これらのサービスは、「有力な手段」です。しかし、そこに福音を伝える目的があるのではありません。私たちが活用しているインターネットの技術は、キリストの福音を分かち合う上で、諸刃の剣と言えるかもしれません。きっかけは様々ですが、最終的に人々を救いに導くのは、遠い昔より、地道ではありながらも、落地成根の繰り返しの業なのではないでしょうか。

落地成根?
ウィキペデイアで調べてはいかがでしょうか。


2010年2月23日 (火)

御霊の力を借りて

Bright「リアホナ」2月号に掲載されている「御霊の力を借りて投げました!」では、陸上選手として活躍する桑原愛姉妹が紹介されています。セミナリーで学んだことが、アスリートとしての成長に役立ったという証が掲載されています。主の戒めに忠実で、信仰深い人々のエピソードは、いつも私たちを勇気づけてくれます。

そして、今回のバンクーバーオリンピック。

オーストラリア代表のトーラ・ブライト姉妹が金メダルを獲得したニュースも私たちに勇気を与えてくれるものでした。

ブライト姉妹が優勝した種目は、スノーボードのハーフパイプです。ハーフパイプといえば、日本から出場した選手の言動が注目されたことで、一躍有名になった競技です。ハーフパイプのアメリカ代表の男子メダリストが、不適切な行動によって、急遽、帰国したことで、更に注目を集めました。その結果、女子の優勝者のブライト姉妹のライフスタイルが、メディアで大きく比較されることにもつながりました。

ブライト姉妹の名前のトーラーは、旧約聖書に由来しています。律法の書を意味し、戒めを固く守るようにという両親の願いから命名されたそうです。彼女は「良い両親から良い教えを学んで育った」とインタビューに答えています。彼女が教会員であり、智恵の言葉や純潔の律法を守ることも興味深く報じられています。

容姿端麗な女性アスリートを特集した記事で、各選手のプロフィールが掲載される中、トーラ・ブライト姉妹のプロフィールには、「結婚相手はモルモン教徒であること」と紹介されていました。また、「モルモン教徒の彼女は、酒もタバコもコーヒーも飲まず、結婚するまで純潔を守るスノーボーダー」と各メディアが報じました。

今までに、活躍する教会員の著名人やアスリートがメディアに扱われるとき、たびたび、コーヒー、酒、タバコを飲まないことが記事なることはありました。しかし、純潔の律法を守っていることが話題になることは、それほど多くはなかったように思います。実際、優勝した翌日の記事の中には彼女の貞潔について高く評価するものが目立ちました。スポンサーとなる企業も、ブライト姉妹の清純なイメージを好み、人気が高まっています。

立場をわきまえない服装や言動の乱れが、「個性」という形で誤って評価されることもあります。しかし、そのような風潮に流されることなく、アスリートとしての本分を貫いているブライト姉妹に対して、メデァイだけではなく、観戦する人々にも魅力的な彼女の「個性」が伝わっているようです。

「モルモン教徒であることで、競技に悪い影響はなにもない」と彼女は語っています。国を代表するアスリートであることが、子供たちや、将来のアスリートに影響を与えることを彼女は知っています。固く信仰を持つことと、固く信念を貫くことは、アスリートのブライト姉妹にとって、プラスになることはあっても、決してマイナスになることはないというのです。

彼女の美しさは、外見だけではなく、内面にこそ存在するのだと思います。同じ教会員として、彼女の活躍が私たちに誇りと勇気を与えてくれるのも嬉しいことです。

2010年2月21日 (日)

成長して主の役にたつようになる

日本は、自ら命を絶つ人の数が多いことで有名です。国際社会の中でも、日本ほど、毎年、これほど多くの自殺者の数を保ち続けている国は他にありません。なんと、年間で約3万人が命を絶ち、霊界へと旅立っていきます。

警察庁統計資料の「自殺者数の年度推移」によりますと、平成10年からその数が3万人を割ったことはありません。過去11年間で常に3万人を越えています。その合計は驚くことに、35万8千人になります。健康、経済、家庭、仕事の問題が主な理由となっています。

この数は、北海道の旭川市や東京の町田市、愛知県の豊橋市、長野県の長野市の人口とほぼ同数になります。一つの市が消滅してしまうのと同じだけの人数が、過去11年で失われてしまいました。

多くの人が希望を失うだけではなく、「自分は必要とされていない」と思い込んでいます。現在、私たちの周囲にいる人たちの中にも「自分は必要とされていない」という気持ちを感じている人が多くいます。さらには、成人だけではなく、青少年の中にもそのような失望感を感じている人が多く見受けられます。

本当に必要とされていないのでしょうか?
どこかに、そのような人を必要としている人はいないのでしょうか?

77102_handsplanting_c8_fse0017a_st「リアホナ」2月号の中に掲載されている「成長して主の役に立つようになる」という記事は、たとえ、成長の速度が遅くとも、私たちは確かに成長し、影響力を与える存在になれるという人生のヒントが書かれています。それには特効薬はありませんし、ワクチンもありません。しかし、公式が存在するのです。

バプテスマを受けて改宗した方々の証を聞いていると、人にはそれぞれの悩みや苦労、心配事があるものだと痛感します。また、同じような悩みでも、それを乗り越えられずに苦戦している人もいれば、難なく乗り越えている人がいることにも気づきます。

違いはどこにあるのだろう?と思わずにはいられません。特効薬やワクチンはないのですが、公式を理解して、経験を積み重ねてきているようです。

幸いなことに、教会では「人の価値」を、人の視点ではなく、神様の視点からとらえることを教えています。私たちすべてが神様の娘息子であり、なによりも、この地上での生涯を通じて、神様から期待されている存在なのだと知ることができます。

「自分は必要とされている」と感じることは、誇りと希望を与えてくれます。「成長して主の役に立つようになる」という願いは、いつも私たちの人生が成長の段階にあるということ、また、今は乗り越えられないものでも、少し先には乗りこえられるという確信と平安を与えてくれます。

社会に目を向ければ、多くの煩い、悲しみ、悩みで満ちていますが、ぜひ、成長して、いつか必ず主の役に立とうじゃありませんか!

最近の写真

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